「小太郎さんって、いつも幸せそうでうらやましいですね。」
そう言われたとき、私はあたたかい眼差しでその人と今までの人生を見ていたような気がしました。
はじめまして!雑記ブロガーの小太郎(こたろう)と申します。
名前:小太郎
趣味:ブログ、Youtube作成・鑑賞、筋トレ、歌を歌うこと、読書、映画鑑賞、料理、人を笑わせること、瞑想、ヨガ
愛しているもの:妻、娘、地元の親友たち、両親、親戚、今まで優しくしてくれた人たち、歌、音楽
年齢:アラウンドサーティー!
性別:メン
主なエンカウント(生息)場所:関東近郊
家族:宇宙1の妻と世界1の娘
絶望の淵から、嫁と、家族の支えと、大切な親友、仲間たちと這い上がってきた涙と愛の物語です。
人の命は、それぞれが60億の、たった一つの、宝物のような織物ですよね?
Contents
小太郎の人生~幼少期~
私は、長野県で生まれました。
雪がたくさん降って、なんかくそ寒くて、漬物ばっかり食ってるけどいい人しかいない県です。(冗談です)
父がスーパーエリート転勤族だったので、両親は遊牧民がごとく転勤しまくっていました!
母が、
「来週から〇〇県って言われるんだよ!もうそりゃあ引っ越しは戦争よ・・・(遠い目)」
と言っているのを聞いて、
「・・・引っ越しって、大変なんだ!!」
と思いました。率直、素直、いい子かよ!!
幼稚園くらいの時、父がまあちょっとやらかして
母は、体を大きく壊してしまいました。
治らないとか言われている病気になってしまって
私は一時的におばあちゃんの家や親せきの家に預かってもらっていたんです。
お寺でもあったので、金色だったり、でかい仏様がいるところを走り回っていて、今でも線香の香りが大好きです(笑)
「お母さんとはしばらく会えないんだ・・・」と父に泣いて言われたとき、
大泣きしたことを鮮明に覚えています。
でも、ばあちゃんや親せきの人たちに本っ当に良くしてもらい
また、みんなで暮らせることになりました!やったね!!
(預かってもらっていた時の親戚の方には、この前娘を連れて挨拶に行きました!みんなあたたかい言葉をかけてくれて涙が出ました。)
小太郎の小学校時代~山梨編~
みんなで暮らせるようになり、山梨県に移り住みました。
(それまでにも何回か引っ越してます)
ここでの生活は、まるで天国のような生活でした。
母も元気になり、私の命の一部である最高の友だちがたくさんできて。
川でカニを取り、湧水を見つけにチャリを漕ぎ、桑畑(くわばたけ)で桑を取りまくり(ごめんなさい)
平屋の社宅だったので、隣も裏も父の会社関係の家で。
ブロックの壁をよじ登って、隣の友だちの家に遊びに行っていました(笑)
隣の友だちのお母さんは、私と兄だけで留守番をしていることや、家の事情を知っていたので
「フライドポテトを作ったよ~」
って持ってきてくれたり、本当に良くしてくれて
なんかこれ打ってる今も涙が流れます。
なので、私はフライドポテトが大好きなんですよ!
どうでもいいけど!冷凍のやつの太めのやつね!!
スラムダンクが全盛期で
「天才ですから!!」
と明るくはしゃいでいました。
私の人生の中で今の次に幸せで、もしかしたら今よりもテンション高く、明るかった時代です。
小学校3年生の時に転校が決まったとき、
クラスのみんながメッセージと1人1人が作ってくれた手作りのプレゼントをもらったんです。
30個ですよ?すごくないですか?
それぞれ、オリジナルのもので、名札入れ、折り紙、おもちゃ。
1億円もらってもあげません。
10億円積んでも、もらうことは出来ないでしょう。
高校生まで、ずっと押し入れに大切に入れて、辛い時には見返していました。
高校卒業まで、引っ越したことを引きずっていて
今でも、たまに当時の友だちとの思い出を夢に見ます。
その後も、文通をしたり、引っ越し先の神奈川県にも来てもらったりしたんですが
途絶えてしまい、連絡先はわからなくなってしまいました。
また、いつかどこかで会えると信じて生きています。
あなたは、
ZONEの
ありがとう、あの時のみんながいたから俺、死なないでちゃんと今も生きてるよ。
当時で出会った、優しくしてくれたあなたたちは、俺の一部だよ。
俺の心の、命の、魂の一部だよ。
いつか死んだら時は、空の上でみんなに会いたいな。
ちなみに、誰にもわからないけど、
俺の1番の思い出の曲はこの自分の時代を彩った、ピアノの発表会で神奈川に行ってから弾いたこれ
小学校~神奈川編~
書き忘れた!
引っ越しが決まり、
近所のみんなを呼んで、兄の友だち、私の友だちで庭でキャンプをしました。
人生で4番目くらいに楽しく、幸せな時間でした。
まだあまり仲良くない友だちが
「俺も行きたいなぁ・・・」
と言っていて、その子も呼んだのを覚えています。
たしか、シングルマザーのご家庭で苦労している真の明るさと優しさがある人でした。
元気にしてるかな?
そうそう、
あの頃って関係なく、知らない子とも道路でドッジボールしたり町中の子供が集まって遊んでたんですよ。
良い時代だったなぁ(おっさんか!)
話に戻って
それからしばらくずっと暮らすことになる神奈川に移り住みました。
夏休みに引っ越したのでまだ誰も友だちがおらず、
兄と近所のプールに毎日行って
「プールがつまんないなんてことあるのか・・・」
という日本の小学生が誰も感じたことがないような経験をしました(笑)
転校初日、
「俺、〇〇、よろしくな!」
と言ってくれたやつは今も覚えているよ、大人になって太ったよね?
神奈川に引っ越しましたが、私はずっと前に住んでいた思い出と友だちのことを忘れられず・・・
最高の友だちできて毎日くそほど遊んでいたんですが(笑)
夜になると毎日一人泣いていました。
まあ、いいんだけどね!
親友たちには神奈川で出会えたんだから。
神奈川の小学校時代。
悲しさはあっても、たぶん普通の人の5倍は遊びまわっていました!
なんせ、この私が卒業アルバムに「世界征服!」って書くくらいですから。
ちなみに、もう一人同じこと書いたやつは、すげーいいやつでよく遊んだけど、ジャイアンよりジャイアンみたいなやつですからね(笑)
友だちの家に入り浸り任天堂64やったり、ピンポンダッシュを町内ほとんどしたり(本当に、大変、心より申し訳ございませんでした。本心です。)
学校の部室?みたいなところに、マンガとポテチ持ち込んでゲームしまくり、
バカなんで給食袋を置き忘れ
「これ、小太郎くんのよね?」
とだけ言って、何も責めなかった担任の先生。
本当に迷惑ばかりすみませんでした・・・。
会って謝りたい。
ちなみに、私の今でも遊ぶ心友は
卒業式にアルバムに書いてもらうと思ったら
「あんたに書くことなんてないわよ!」
と言われ、
私は、卒業課題を提出せず
「小太郎くんは、卒業式名前呼ばないからね!」
と言わせてしまったクソガキでした。。。
(卒業式の日に出しました)
でも、私の小学校は世界一遊び、世界一楽しかったです。
私は、先生をはじめ、地域の大人たちに、育った街に、たくさん許してもらって、たくさん愛してもらい、優しくして育ったんですよ。
この前、卒業式の話のやつにあったとき
「この街は、小太郎が育った街じゃん。また、帰って来いよ」
と言ってくれました。
ありがとう。
一応この頃の気持ちを話すと
明るくしていても、心の中では
「父親を〇してやる」
と思っていましたし。(今は父ちゃん大好きよ、父ちゃんの行動と母ちゃんが死ぬほど辛いお思いし続けたことを恨んでいるだけよ)
母には泣きながら
「お父さんの〇〇相手が、子供を産みたいって電話をかけてくるの・・・」
と話すのを慰めて、明るくふるまって、バカなふりをしていました。
まあ、結構すさんでいたのでみんな許して!
いまは人のために命燃やして走っているよ!
あと言っておくけど、悪いところだけ言ってるだけで、私の両親は世界一素晴らしい良心で、超ウルトラ死ぬほど愛しています。
小太郎の人生 ~少年編~
さて、小太郎はなんとか中学生になりました!
中学生時代は一言で言うと、うつ。ですね!
家のことで無理をして明るくふるまっていた反動が
「ズドン!!」
ときて、ダークサイドに堕ちました。
無気力ですぐ学校をさぼり、
笑うことも少なくなってしまいました。
友だちはたくさんできたけど。
みんなとダーツやビリヤード、ゲーム、カラオケ、外など遊びまっくったけど
「小太郎、元気出せよ~!!小太郎、テンション低いぞ!」
といつも言われていたような。
でもまあ、心が辛かったかなぁ。
家に帰ったときに辛そうに寝込んでいる母の姿が一番。
そして、何もできない自分に。
あ、うち4回離婚して再婚してるんですよ!
これ秘密な!
兄は、音楽に走りました!健全!
私は、恨みと悲しみと憎しみに走ってしまったんですよね~。
本当に、人生はできごとをどう捉えるか、認識して受け止めるかがすべてだと思います。
そうだなぁ。
面白エピソードと言えば、
私は3歳から中学3年までピアノを習っているんですよね。
で、うちの兄もピアノうまくて、
合唱コンクールのピアノで伝説となり
「あれ、〇〇君の弟さん?」
と職員室で言われるレベル。
うちの兄ちゃん最高にかっこいいんですよ。
既婚だから惚れるなよな☆
で、中学生の時に
先生「合唱コンクールのピアノ誰かやるやついるか~?」
違う小学校の仲良くなったばかりの女子
「小太郎くんがいいと思います!!!」
先生
「うん!そうしようか!」
小太郎
「おいいいいいいい!!!全然、やりたくないんですけどおおおお!!!!何そのキラキラした推薦の仕方!?前に出るの好きじゃねえんだよ!!「うん、そうしようか☆」じゃねえわ!!」
と心の中で思いながら
小太郎
「やりますか~!(号泣)」
でもね、いい経験になった。
あの時、推薦してくれてありがとう。
小太郎の人生 ~高校時代編~
さて、小太郎はそんな兄ちゃんに憧れて
「小太郎には絶対に、無理でしかないっ!!ドンッ」
と先生に言われた高校を受け、見事どこにも行くことがなく
横須賀の高校に行くことになりました。(父ちゃん母ちゃん、行かせてくれてありがとう)
この高校では人生の宝と言えるような友人たちと出会えたので神様っているんでしょうね。
友人は、私が子供が生まれたときに、泣いて喜んでくれました。
高校では、ちょっとここでは書けないレベルに遊びまわってますマジで(笑)
あと、一応言っとくね。
女遊びはしてませんからね!ちゃらちゃらしたやつ大嫌いなんですよ。
若くても、大人でもな?
はい。
書ける範囲なら
・バイクで夜の町を何か何人かで走ったり
・学校行かず公園でお〇飲んだり、タバコ吸ったり
・学校行かず、釣りしたり、マック行ったり、出会った黒人の軍人とカラオケ行ったり
・夜の公園で集まって朝までずっと話してたり
・制服のまま海飛び込んだり
・山で焼き芋したり
・公園で鍋したり
なんか色々ぶっとんだ青春でした(笑)
いつも制服洗ってもらうと真っ黒でした。
でもね、心がいつも悲しかったんですよ。
家ではもっとぶっ飛んでて。
本書いたら売れるんじゃないかな?と思っていますが、本気で。
話が脱線しすぎ!
今、尖った子って少なくなったなぁって心配なんですけど、
荒れてる子ってね、みんな事情があるんだよ?
まあ、ほとんど98%家庭にね。
だからさぁ、あんまり低く見るなよ。
偏見を持つな。
俺の経験で言うと
いかにも優等生みたいなやつより
荒れてる子の方が痛みを知っているから本当の優しさを知っている子ばかりだったけどね。
騙されちゃいかんよ。
人は見た目じゃなくて、内面、心。
見た目をきれいに整えて、健全ぶっているやつが一番怖いけどね。
まあまあ。
高校は、カラオケに350回くらいってたまり場になっていたんですが、
最後の文化祭でL’Arc-en-Cielのコピーバンドさせてもらい
体育館の床が抜けて2週間使えなくなったのは良い思い出。
これ、本気になれば特定できちゃうね、やめようね?(笑)
小太郎の人生 ~浪人編~
ギリギリ、先生の好意で
色々なことを本当にみて見ぬふり、許してもらい
(「小太郎、わかっていることはあるけど、あえて言っていないんだよ」とよく言われてました)
あと1回授業に出なかったら卒業できないところを無事卒業!!!
これ読んでいて、最近私のことを知った人
「うそでしょ~?」
と思うでしょ?
これが書いていること、すべて、本当だから人ってわからないね、あはははは(笑)
見た目とかめんどくさいから、何もしてないから舐められるのかな~
そういうこと言っちゃいけないね。
ただ、桜木花道もみっちーみたいな長髪にしてしまうくらいのレベルに勉強しておらず・・・
将来保育士になりたかったんですけど
恩師に
「お前は、大学に行っていろいろなものを見た方がいい」
と見た目ヤンキー中身は少年の僕に言ってくれて浪人しました。(父ちゃん、母ちゃんほんっとうにありがとう)
浪人時代も面白かった!
・キックボクシングしている金髪のギャル男っぽい子が人生変えるために勉強頑張っていたり
・3浪している長(おさ)みたいな人がいたり(めっちゃいい人でした)
・吉野とかいうリーゼントの講師がいたり
・西野とかいう、めっちゃかっこいい面白い講師がいたり(要するに代ゼ〇)
まあ、腐るほど思い出はあります。
ちょうど、小学校の卒業式の時の友だちが同じ予備校で、それも楽しかった。
当時の仲間とは見えない不安と一緒に毎日勉強しまくって。
最後の追い込みは一日12時間勉強したかな?
地区センで。(誰もわからん略称)
そして、見事難関大学に合格!!
母ちゃん入院してたから、受験日に父ちゃんが弁当作ってくれたの覚えている。
ありがとう。
晴れて、コヤンキーから都内の大学生に☆
そのころ、うつ病を発症しました(笑)
体重が49kgくらいになり、何を食っても発泡スチロールのよう
眠れず朝まで泣きながら天井の木目を見てたかなぁ。
で、もう起き上がれなくなって中退。
でもね、一個下の子たちはみんないいやつばっかだったよ。
俺みたいな違和感ある人も受け入れてくれて
「小太郎~お前学校来いよ~!」
といつも言ってくれた彼、元気かな?結婚してそうだね。優しいお父さんになっていそう。
当時のSNS、mixiで同時期の人の卒業式の日記を見て悲しかったなあ。
そのころ家からも出られなくなってから。体調悪くて。
小太郎の人生 ~体調崩し編~
そう、私は重度のうつ病になりました。
パキシ〇とか、バンバン飲んでますよ!
SSR〇、この世から根絶しろ!
って感じですけどね。
朝まで、ずーーーーーーーーっと寝れないんですよ。
起きたらもう
「小太郎のHPは0よ!!!」
って感じ。
あまりにも辛くて電車で泣いてしまって
近くのOLが超驚いてました(笑)
ごめんよ。
そして・・・・
私はギャンブルに出会ってしまったんですね。
たまたまフラッと入ったパチンコ屋。
中毒になってしまいました。
ちなみに、言い訳ではなく
SSR〇という、うつ病の人などに意欲が減退しすぎて危険行動がないよう、通常のやる気や気力が出るよう処方されるお薬がありまして。
人の衝動性を高めるお薬なんですが、その二次障害だったんですよ。
実際にその道の専門家からは
「こんな処方はあり得ない」
と言われましたし
二次障害のことも、まあ、最近知ったんですけどね。
親戚の英語の先生している人に
「小太郎・・・。それが英語の小論文にでるくらいだよ・・」
と言われて、私は何も言えませんでした。
ここはあえて書きません。
私のギャンブルに苦しんだ22歳から27歳くらいまでは
地獄でした。
人に迷惑をかけ、人を傷つけ、お金を使い、
両親を悲しませ(犯罪はしていませんからね)
友人を失望させ
・・・でも、何をしても、どんなことをしても辞められませんでした。
そうだなぁ。
総額500万くらい使ったのかな?
なんていうかね、脳が暴走するんですよ。
死ぬほど簡単に言うと、
脳が、薬物よりも強いドーパミンを
ギャンブルでしか放出できないように変わってしまうんです。
つまり、ギャンブル以外には幸福を感じず、やり続けなければ苦しくなってしまうんですよ。
地獄です。本当の。
やりたくないはずなのに、気づいたらお金持ってパチンコ台の前。
終わった後は、罪悪感、絶望感。
まあ私は小学生からそうですけど、
辞められない自分、今までの自分とは違うギャップ、健康な自分とのギャップから、
とにかく自分を責め続ける、叩き続ける。
自己肯定感?何それ?
自尊心、自信、尊厳、自己肯定感すべて粉々になってミキサー5年かけるくらいまで砕かれますよ。
そして、周りの心と人生を粉々にしてミキサーにかけるほどになります。
だから、私は残りの人生は恩返しなんです。余生。
周りの今まで出会った人たち、今いる人たちのおかげで今があるから。
大丈夫、奇跡なような話だけど、おかげで抜け出せて5年になるよ。
今度、ギャンブルで苦しんでいる家族、本人のための克服する方法を魂込めて2万文字くらいで記事にしますね。
小太郎 ~社会人編~
まあ、ここでは書けない20万字くらいのことが今までありまして。
一応事実だけど、すんげえマイルドに書いときました!
イメージで言うと、この文章で伝えられるのは全体の25%くらいかな(^^)
一番は本当に妻のおかげ、次に両親の力、その次に友達や今まで良くしてくれた本当にたくさんの人のおかげで、ギャンブルはやめられて、うつ病は完治してピンピンしています。
だって、いまうちは私がお金管理してますからね?
これわかる人にはわかること、すごいことで、100万現金だって下せますけど、そんなくそみたいなものに使わないですから。
お金を管理して、ストレスや何があってもギャンブルに走らないって、一回なった人にとってはまじで奇跡なんですよ。
今は0.0000001秒も考えないです。
むしろ、この記事書いて久しぶりに単語を思い出したレベル。
社会人になり、転職もたくさんしましたが、
・今までの人生の痛み
・生きることに迷い続けてきた人生
・母に何もできなかった痛み
・友達や辛い人の話をいつも聴いてきた
ことを活かして天職に就いています。
仕事の選び方や人生で迷ったらTwitterからダイレクトメッセージしていいよ~!!
小太郎の人生 ~現在編~
今は悩みゼロ。
幸せ過ぎて、嫁と娘と目玉焼き食ってるだけで時々泣きそうになるし、出勤の車で泣くこともあります。
ありがとう、優〇。
あなたは俺の魂、俺が生きている、生きるたった1つの理由だよ。
あなたは、命まで救ってくれたよ。
プローポーズの時に言ったように、俺の太陽だよ。
宇宙で一番かわいくて、面白くて(笑)、気が合うし、優しいよね。
言葉なんていらない。
あなたは俺の、すべてです。
俺が今度は太陽になれるように頑張るね~♩
ありがとう、陽〇。
あなたは、俺の夢であり、何よりもまぶしい希望の光です。
だって、父親になるのが夢だったんだから父ちゃん。
もうかなったよ(笑)
俺がしてほしかったこと、してもらってきた最高の愛をすべて、命をかけてプレゼントするね。
陽〇のすべてが好き。
宇宙で一番愛している!
ありがとう、父ちゃん。
あなたがいたから、人の弱さ、自分も弱いこと、孤独、どう生きるのか?何よりも、許すと言うこと、を知れたよ。
あなたがいなきゃ今の俺は高飛車で我がもの顔でわがままだったと思う。たまにそうだけど(笑)
一応、名誉のために言っておくけど、うちの親父は命を賭して多くの人のために働いた人。
俺が許さなかった一点が、俺にとって良くなかっただけで
本当に優しい、かっこいい、道しるべとなったような人だよ。
昔のことでいじめて、ごめんね(笑)
まだまだ未熟、子供の自分を癒しきれてないってことかな。
ありがとう、母ちゃん。
あなたは、俺の生きる道、誇りです。
真の優しさ、正しさ、人、モノを見る目をたぶん世界一持ってると思う。
で、俺より痛みと苦しみを受けた人だと思う。
親孝行するね~!
わりと、結構してるよね?(笑)
行動で!
まあ、父ちゃん母ちゃん、幸せに生きることが一番の恩返しってわかってるし、きっと、必ずそういうから、そう生きているよ。
ありがとう、兄ちゃん。
あなたは、俺の憧れで、かっこいい後ろ姿です。
なんか知らんけど、ネガティブなイメージが0。
ジャンプに出てくるヒーローのイメージなんだよね。
全然言わないけど、俺よりももっと感じることや辛いことを思っていたと思うんだよね。
だから、時々抱え込んでいないか心配です。
アニキがトキなら、俺はケンシロウ!!(どういうこと?)
ありがとう、地元の友だちたち。
あなたは、俺の財産です。宝です。
家族より一緒にいたんじゃない?(笑)
また、会いに行くよ、ムーブに乗って!
(ヤックルな)
ありがとう、読んでくれた今画面を見ているあなた。
どうかな?
まあ、
「こいつが幸せになれたなら、大丈夫!」
「こいつができたなら、何でもできる!」
と思ってもらえたかな?
ぜひ、そう思ってほしい。
あなたが、うまくいってるなら、そのままうまくいって!
あなたが、いま俺のように大変だったなら、大丈夫、必ずこうやってうまくいくよ!
自分のこと責めずに、体を大切に、感謝して生きてれば大丈夫だよ。
困ったらいつでもメッセージして♩
マジで返すと思うよ(笑)
小太郎の人生 ~未來編~
私のビジョンは、
自分の命を使い切って、愛に生きて
全身全霊で死を楽しんで
頑張ったあかつきに、顔も知らない誰かにダイブして抱きつく
ことです!(これが読解できたらすごいくらい、意味不明)
・独立して世界一謙虚で腰の低い最高の社長になる
・子供あと2人欲しい
・キャンピングカーで日本一周
・世界一、最高の、旦那、父親、友人、息子、ブロガー、Youtuberになる
まあ、かなり控えめに言っても、これらのことは達成します。
一緒に仕事したい!何か依頼したい!という人はいつでもTwitter
(@0907U)でメッセージ下さいませ(^^)/
ちなみに、最高は、自分が決めるからね?(笑)
仕事は他者評価だけど、人生は自己評価でいいでしょ(笑)
死んでいった友人も本当にいます。生きたくても。
しかも、世の中からはくだらない常識で上から見られてさ。
私は、Bump of Chickenじゃないけども、
命を使って、世界に、弱者代表として先陣切って、復讐(悪いことじゃないよ)と一撃くらわしたいんですよねぇ。
ギャンブル、うつであっちに行った人もたくさんいるんですよね。
だからこそ、私は、
倒れていった者たちの願いと
あとに続く者の希望に
なりたいんですよ。
金なんて要らねえの、もともと。
最後に、
教えてください。
あなたは何をするのですか?
その激しく、かけがえのない
一度きりの人生で。
お・・・わらない!!